E.N.R. クリプトモネダス

"Everybody Needs A Retreat." - 雑記帳

フィロソフィー(ロゴス愛)とフィロロジー(ソフィア愛)

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フィロソフィーに比べ旗色の悪いフィロロジーニーチェの本職。日本語にすれば文献学。文献は古文書。歴史の古層に分け入って言語の始原を探っていく「ことばの考古学」。でも単なる考古学じゃないぞ!と今回紹介する記事の筆者はおっしゃってます。

philosophy(ソフィア愛)vs philogoy(ロゴス愛)

https://thegodguy.wordpress.com/2011/03/24/%E2%80%9Cphilology-is-more-important-than-philosophy-%E2%80%9D/

「フィロソフィーよりフィロロジーが大事」by グルジェフ

“Philology is more important than Philosophy.”
The above statement is attributed to George Gurdjieff, a 20th Century mystic and teacher of the most unique system for human transformation. I was immediately taken by this curious statement and instinctively felt the power of its truth.

そういったのは、人間変容に関して大変ユニークな体系を説いた20世紀の神秘家ゲオルググルジェフだ。筆者は読んだ途端この奇妙なことばに惹かれた。真実の力を本能的に感じたのである。

Basically, philology is the study of the history of words and their meaning. The word “philology” itself is derived from the Greek word philologos, which basically means love of learning.

フィロロジーはことばの歴史と意味を探る学問だ。語源はギリシャ語のpihlologos、「ことばへの愛」から来ている。

訳注:love of learning

原文のlearningをあえて「ことばへの愛」と訳しました。「学び」とすると言語に含まれるロゴスとソフィアの違いが伝わらないからです。文献学と訳してしまうと、もっと伝わりません。カタカナ表記って素晴らしい発明ですよね。

  • philosophyは "love of wisdom" (知恵愛)
  • philologyは "love of logos"(言葉愛)。
  • 知恵(ソフィア)はヘレニズムの世界に入って、ギリシャのみならずエジプトやヘブライでも格別に重んじられたようです。旧約聖書には『ヨブ記』、『箴言』など知恵文学(literature of wisdom)と称される文献が含まれています。

言葉愛と知恵愛

How is it then that the love of learning can surpass philosophy’s nobler affection for truth and its pursuit of wisdom?

なぜ「ことばへの愛」が、高貴なる「真理への愛着」であり「智慧の探求」である哲学に優越するのか?

The answer is that unlike philosophy, studying the origin of words can take us back to God’s divine Logos—from which all words and language were derived.
All words originated from things that contained purely theological and spiritual meanings. (After all, God’s Holy Word comes to us from Heaven, and, such a non-physical origin cannot contain materialistic meanings or notions based on the constraints of space and time.) Therefore, philology is the more precise approach to divine wisdom and its source.

ことばの起源を学ぶことは、あらゆる単語、言語を生み出した神の聖なることば(ロゴス)に戻ることを意味するからだ。そこがフィロソフィーと違う。

あらゆる単語の起源には、純粋に神学的で霊的な意味を含む事物が存在する。 (神の聖なることばは天から人間に降りてきたものだ。それは時空に制約されない。物理的起源をもたない神のことばが、物質的な意味や概念をもつはずがない)。それゆえ神の叡智や叡智の源泉を学ぶにはフィロソフィーよりフィロロジーの方が適しているのである。

物質的な富、霊的な富

Scientist/theologian Emanuel Swedenborg often used philology to support the concept that the words of Holy Scripture contained “higher, spiritual meanings.”
For instance, Swedenborg pointed out that the term “cattle” in its original tongue meant “acquisition” (AC 6049). (Now consider the fact that a real sacred document would only concern itself with humankind’s acquisition of truth, because truth is necessary for salvation).

科学者で神学者のエマニュエル・スウェーデンボルグは、聖書のことばが「高次の霊的意味」を含んでいるという自説の根拠としてよくフィロロジーを用いていた。

たとえば、スウェーデンボルグは "cattle" という(※現代では家畜の牛を意味する)ことばは本来 "acquisition"(獲得されたもの→財産)を意味していたと指摘している。 (真に聖なる文書は、人間が真実を獲得することのみに関係しているという事実に思いを致そう。人間が救済されるには真実が必要だからだ。)

訳注:牛は財産な件、資本の語源となった
cattle (n.) mid-13c., "property" of any kind, including money, land, income; from Anglo-French catel "property" (Old North French catel, Old French chatel), from Medieval Latin capitale "property, stock," noun use of neuter of Latin adjective capitalis "principal, chief," literally "of the head," from caput (genitive capitis) "head" (from PIE root *kaput- "head"). Compare sense development of fee, pecuniary. In later Middle English especially "movable property, livestock" (early 14c.), including horses, sheep, asses, etc.; it began to be limited to "cows and bulls" from late 16c.
cattleの印欧祖語の語根はkaput。"head" の意味。古代印欧語族の人々はコーカサス山脈の北側の麓あたり大草原に暮らしていた遊牧民だったから、「頭」といえば家畜の頭を指しています。
家畜は貴重なものなので、次第に富の象徴となります。ここから財産・所有物 "property" や蓄積 "stock" といった派生的な意味が生じます。
時代が進んで富が力の源泉として蓄積されるようになると、資本 "capital" の意味になります。
ギリシャ語も英語も印欧祖語から分かれたから、この「牛」→「富」→「資本」の思考サイクルを共有しています。同じ印欧語族のインド人が牛を神聖視する理由もここにあるでしょう。牛は羊、山羊に次いで3番目に、アラブか西アジアではじめて家畜化されたといいいます。いまから1万年以上も前の話です。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%9E%E3%83%8C%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%B9%E3%83%B4%E3%82%A7%E3%83%BC%E3%83%87%E3%83%B3%E3%83%9C%E3%83%AA


Since owning cattle offered value and wealth to its owner, the term “cattle” symbolizes, on a higher level, its psycho-spiritual equivalent—the acquisition of truth. Acquiring, and living by God’s truth, leads to goodness in the human heart and mind.
So, to own cattle (possession) in Scripture conveys more than its literal interpretation of having mere material wealth, but rather, possessing wealth of spirit.

牛の所有は所有者に価値と富をもたらした。cattleということばは、高次なレベルでは心理的・霊的な意味での「真実の獲得」を象徴する。神の真実を得ること、神の真実に従って生きることは、人間のこころも頭も正しくする。

したがって聖書における牛の所有(持ち物)には、単に物質的な財の所有を超えて、霊的な財の所有を意味する。

Philology offers historical evidence to support the spiritual origins of all words and Swedenborg’s science of correspondences (which was the science of all sciences in the ancient world).
When a person, from a sincere affection for truth, looks for deeper teachings within God’s Holy Word (and not just to confirm what he or she has learned from their church), a philological path towards profound symbolic meaning will open up within one’s heart and mind!

このようにフィロロジーは、あらゆることばの霊的起源に関して歴史的な根拠を示してくれる学問だ。それはスウェーデンボルグのいう「照応の科学」、古代の世界で「科学のなかの科学」と呼ばれた領域なのである。

人が切実な「真理への愛」に促され、神の聖なることばに(教会で教わること以上の)深い意味を求めるとき、その人の精神の前にフィロロジーの道が開ける。この道を歩けば、深く象徴的な神のことばの意味に辿り着ける。

<記事引用終わり>

ロゴスの多義性=無義性?

wikipediaでも英和辞書でもいいのですが、ロゴスの項を引いてみてください。びっりするくらいたくさんの訳語が出てきます。ぶっちゃけ、ロゴス自体、ほとんど意味を失っています。

でもせっかくなのでフィロロジーしてみると、本質の意味は「ことば」、あえて漢語的概念を当てはめれば、それは「法」ということになるかと思います。

つまり万物の「法」、普遍意識の芽生えです。普遍を意識したことば、それがロゴスの本体だったと思います。

ただ展開の方向が分かれます。ロゴスの法を霊的・神学的な方向で追求すればプラトンの流れに行き、物質的・数理(論理)的な方向に展開すれば弟子のアリストテレスの流れに行きます。

西洋文化の第一層はキリスト教アリストテレスの流れが受け持ち、その底流に流れる神秘主義グノーシスの伝統はプラトンの流れが受け持つことになります。

いずれにしても、一神教信仰はマタイ書の冒頭「はじめにことばがあった。ことばは神と共にあり、ことばは神であった」にも明示されているように、「神は言葉」「言葉は神」の循環論法に発しているようです。

でも、この筆者がいっているように真面目に神のことばなどを追及していくと袋小路にはまるような気がします。

神学議論に興味がないブログ主の見るところでは、マタイ書の宣言は結局、言葉(人間の脳)から神概念が生まれたという当たり前のことを言ってるに過ぎません。 

神秘学は対極の結合を夢見る

まあ、筆者の心境をおもんばかるなら、浅はかな人間の知恵を重んじる(フィロソフィー)くらいなら、直接神のことばを聴く(フィロロジー)方が上等だ、ということになるでしょうか。論理と霊感のガチンコ勝負。

実際、人間の文化は霊感系統(オカルト含む)の圧勝ですからね。神秘学・神秘思想(mysticism)なしに絵画も小説も音楽も成立しません。内容はくだらないですが、映画『ダ・ヴィンチ・コード』(2006)もネタ元はそっち系だし、一昔前にはウンベルト・エーコ原作の『薔薇の名前』(1986)も映画になってました。

歴史もの、スリラー、サスペンス、SFの一大ネタ元、インスピレーション源ですよね。日本のアニメや漫画やゲームだって、コアなファンほど神話の神さまや悪魔や天使の名前に詳しいでしょう。

秘め隠されているもの

でも神秘学っていったい何なんでしょうか?

自分自身ミスティックだった公称科学者のグスタフ・ユングはこんな風にいっていたと記憶します。

神秘主義は「対極にあるものの結合」である。世界を構成する二元(神と悪魔、善と悪、明と暗、男と女・・・無限にある対極)の再統一に他ならない。その至上形態として神人合一がある。

神は秘め隠されている。秘め隠されているものは特定の資格者にしか開示されない。

資格?

そう、究極の霊感商法です。

これにひっかかった人たちが、秘儀宗教、悪魔崇拝グノーシス、異端、セクト、秘密結社・・・まあフリーメーソンでもイルミナティでも薔薇十字団でもいいですが、とにかく無数の地下組織・地下空間を創造し、公式宗教では満たされない(許されない)渇望の受け皿になってきたわけです。まあ、精神のリハビリ施設ですね。筋金入りの人たちはそもそも復帰する気がないのでリハビリにならないわけですが。

フィロロジーは人によっては面白くてしょうがないでしょう。いかがわしい探求でも "公認の学問の場" で許してくれるんですから。