E.N.R. クリプトモネダス

"Everybody Needs A Retreat." - 雑記帳

日本建国私説―カタストロフィの生き残りがつくったまほろば

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日本人と三貴子

よくこんな風に感じます。

  • 日本人は近代化を経た後もご先祖様を大事にしている。
  • 土地にこだわりがある。
  • 東西に目に見えない分断線がある。
  • 外を知れば知るほど、言語的にも文化的にも特異性を感じる。

今日は、これらすべての理由を説明する建国の仮説を書いてみたいと思います。

 

仮説を立てるうえで最も重視したのは歴史的事実から導かれた民族の思想です。民族の思想は神話の中に表現されています。

神話は記録(歴史)ではなく寓意(思想)ですから、具体的な記述を実証研究しても真実は見えてきません。寓意に託された意味(思想)を読み解くことの方がはるかに有益かつ重要です。

私見では、日本の秘密を解く鍵は三貴子のコンセプトにあります。ここに日本民族の「和」とは何なのか、そう考えるに至ったいきさつが集約的に表象されているからです。

 

 

科学的知見

結論を急ぐ前に、三貴子という思想が生まれるまでの建国のいきさつを考えてみましょう。

科学は人の移動の痕跡を教えてくれます。最新のゲノム解析から、日本人の組成が大陸の中国人や朝鮮人と大きく異なることが判明し、従来の単純な縄文vs弥生式の二分法が通用しなくなっています(何でもかんでも渡来人のおかげにしておけばよかった、単なるイデオロギーとしての古代史学は無用の長物になりつつあります)。

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考古学や人類学の発掘成果を併せると、日本人の渡来ルートは複数あり、いわゆる縄文人(以下、先住縄文人と呼びます)が最も初期に定住し、その後、縄文時代縄文弥生人が入植、紀元後にいわゆる渡来系弥生人帰化したようです。つまり日本人の民族組成は三重になっているのです。

Y染色体のお告げ

父系遺伝を示すY染色体ハプログループはA、B、C・・・と発生順に系統が分かれていくので、大陸に多いO系統より、日本に固有のD1b系統の方が発生的には古いわけです(日本人にはさらに古い日本固有のC1a1とC2aを持つ人も5%程度います)。

D(やC)が多く残っている以上、Oと混血はしていても上書きはされていないことになります。平和裏に共存(同化)が進んだ証拠です。現代日本人の柔和な国民性を見ても頷ける結論でしょう。

 

鬼界カルデラ

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そうした平和な日本列島に壊滅的悲劇が襲ったのが7300年前に起きた鬼界カルデラ破局噴火です。東北まで達した火山灰(アカホヤ)の規模から推定すると、過去10000年以内に起きた噴火の中でも最大級の激甚災害だったそうで、西日本一帯の縄文人の多くが一瞬にして死滅した可能性があります。生き残りはおそらく大陸へ逃れていき、中国の殷王朝などを作ったのかもしれません。後にこの人たちは日本に帰国してきているので里帰り縄文人です。

 

科学的事実と神話のすり合わせ

これに記紀神話の記述を照らし合わせると、日本建国の骨組みが浮かび上がってきます。謎を解く鍵、三貴子に注目してみましょう。

三貴子(アマテラス、ツクヨミ、スサノヲ)は、イザナミに黄泉から追い返されたイザナギの禊によって生まれました。この禊という行為は、過去のいきさつ清算してやり直す、新たな建国の願いがこめられているのではないかと思います。

  • アマテラスは皇祖神です。現在も続く為政者の系統。
  • スサノヲは後にオオクニヌシの舅になる国津神系の長です。いわば庶民層の系統。
  • ツクヨミはその間に隠れてほとんど活躍しません。謎多き存在です。

おそらく、この三者は新たに建国された日本国を構成する民族の代表なのです。

  • アマテラスは大和に東征して新王朝を打ち建てる天孫族、これは里帰り縄文人に当たります。
  • スサノヲは東征前の大和を支配していた王朝。神話上は「出雲」が国譲りの舞台ですが、歴史事実上の舞台はあくまで三輪山の麓、巻向あたりの大和です。そこを統治していたのが卑弥呼=台与王朝(血統的には縄文弥生人と先住縄文人のミックス?)です。
  • ツクヨミはこれらの王朝に関わらない、特に東日本側の先住縄文人の代表です(西日本は鬼界噴火でいちど無人化したからです。またツクヨミに関係する聖地と思われる月山は東北にあります)。

 過去のいきさつとは?

なぜこのような三者構成になったかを、もう一度整理してみましょう。

スンダランド水没
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先住縄文人はアフリカを出て、スンダランド(オーストラリア沖に氷河期まであった陸地)周辺に定住していたと思われます。気候変動でスンダランドが水没し始めると、彼らは海上を北上し、沖縄群島や南九州へ辿り着きます。その後、北九州、中国、四国、近畿などに分散していったと思われます。彼らは東南アジアにいるときネアンデルタール人とも混血していたと思われます。昔から敵対的ではなく友好的な民族なのでしょう。先住縄文人は鬼界カルデラ噴火で多くが死滅しましたが、一部は大陸へ逃れていきました。

無人地帯への入植と卑弥呼の擁立

しばらく無住区になっていた西日本一帯が居住可能な状態に復すると、北方のバイカル湖周辺や満州あたりから、あるいは朝鮮半島から縄文弥生人たちが入植してきます。彼らは航海に長けていたので群れることをしません。バラバラの土地に拠点を設け、日本のよその土地や大陸・半島と交易していたのでしょう。

紀元2-3世紀になると内輪もめで倭国大乱の事態に陥ります。このままではまずいというので巫覡だった卑弥呼を宗主に担いで大和に連合国家を作り、中国に対峙しようとします(神話の出雲は純然たる別王国だったのか、神話上の創作なのかははっきりわかりません)。

先住縄文人の里帰りと東征

そうこうするうちに、中国大陸から亡命していた先住縄文人の末裔が里帰りし、九州に拠点を築きます。そこで勢力を拡大すると、大和の卑弥呼王朝(彼らから見れば異民族)から王権を奪還すべく東征へ向かいます(里帰り縄文人から見れば留守を荒らした空き巣のようなものです)。

ãã¹ã³ãã©ã³ããã®ç»åæ¤ç´¢çµæ最初は追い返されるものの、ヤタガラスなる間者の活躍で熊野方面から大和へ奇襲し、今度は勝利を収めます。両者は和議を結び、里帰り縄文人卑弥呼朝に婿入りする(入り婿)かたちで王朝を奪いとりました。おそらくここに皇室が男系男子の皇位継承にこだわる根本的な理由があります。もし女系相続を認めれば、神武一代で正統性が消え、何のための王位簒奪がわかりません。

渡来系弥生人がやってきたのはこの新王朝成立の前後であり、一部が新王朝に入り込み、外戚関係になったのでしょうが、皇統の基幹はあくまで里帰り縄文人だと思います。おそらくですが、このことが気に入らない勢力が戦後の日本には多く存在します。そうした勢力をGHQが後方支援することで東アジアの反日文脈を延々と続けてきたのです。東大閥の法曹界や史学界はとりわけ反日色が濃い魔の巣窟といえるかもしれません。縄文に対する必要以上のネグレクト、蔑視のありようは尋常でなく、ウソを日本人に刷り込むためとしか思えません。

日本平

この後、新王朝は東日本に長く定着していたエミシやアイヌと呼ばれる先住縄文人縄文弥生人たちと接触を試み、数々の抵抗を受けながらも統一を成し遂げます。新王朝の里帰り縄文人は大陸で混血しているとはいえ、元々は東日本の縄文人たちと同族に近い人々です。両者は決定的な対立には至らず平定に至ったのではないでしょうか。

(とはいえ、戦後の東北や北海道には左翼の唯物史観の影響で反体制思想がはびこり、ことさらにエミシやアイヌの存在を強調することで、皇室敵視の姿勢を露わにしますが、彼らもまた史実の捏造にだまされているのではないでしょうか。皇室は何某か渡来系弥生人での血が入っていても根幹の血は里帰り縄文人であり、それを守るための男系男子継承なのですから。)

 

黄泉神話と禊の思想

ざっとこんな感じで日本建国は成し遂げられたのだと思います。

三貴子の前提となる黄泉神話は、イザナミが黄泉から二度と戻らないこと、すなわち葦原中国の施政権が母系継承から父系継承に切り替わったことを告げています。

それまでの卑弥呼系の王朝や東日本の縄文人社会が母系継承だったのでしょうが、入り婿が支配者になった以上、そして二度と祖国を離れないようにしたい以上、父系継承への切り替えが絶対不可欠でした。繰り返しになりますが、もし母系継承を許せば、神武天皇一代で皇室(新大和王朝)が途絶えてしまいます。

 

統合のシンボルと伊勢神宮の構造

男系継承への移行後に三貴子が生まれた意味はここにあります。日本民族は先住であろうが縄文弥生であろうが渡来系であろうが拝むご先祖様はすべての誰かに当たるわけで、三貴子こそは日本統合のシンボルなのです。

たとえば、伊勢神宮は内宮と外宮に分かれています。内宮が皇祖神アマテラスを祀るのはわかりますが、なぜ外宮に豊受大神を祀っているのでしょう?しかも外宮先拝のしきたりまでつけて。豊受大神卑弥呼=台与王朝の神だからでしょう。まず国譲りした神に挨拶をしてから、皇祖神様を拝みに行くわけです。

 

沈黙の文化

天武天皇のすごさは、最基層の人々を代表するツクヨミに関して沈黙した点です。ここを詳しくああだこうだ書けば角が立ち、将来に禍根を残します。最古のご先祖様への畏怖と敬意が彼に沈黙を選ばせたのでしょう。何も語らないことで最大限の礼を尽くしているともいえます。

その後の言挙げしない日本文化の気質、論理やことばより、かたちや形式に美の表現を求める感性。そうした日本人の「和」の精神は、二度と故地を離れまい、無駄な争い事で血を流すまいという強い想いから出た誓いなのだと思います。

 

自然崇拝の意味

自然災害は人間の争いなどあざ笑う破壊力を秘めており、争うくらいなら平和に協力し合うしかないではありませんか。なぜ先祖崇拝がすたれないのか、これで説明がつきます。土地への執着も、二度と故郷を追われたくないからに他なりません。

東西にくっきり違いが見られるのは、西では一度王朝の交替があり、連続性の強い東とは文化構造が違ってしまったからでしょう。

日本人の特異性は島嶼列島で古い遺伝子系統が温存されたこと、自然災害に対する鋭敏な感覚が森羅万象への感受性を研ぎ澄ましたからでしょう。

 

災害に育まれた感性

いずれにしても日本人の基本的感性は大災害の経験が醸成したものだと思います。西洋のように噴火や地震が少ない土地なら石造りの立派な建造物も結構でしょうが、日本では無意味です。スンダランドの水没級、鬼界カルデラ破局噴火級の災害の体験が、人間の記憶に深く刻まれないはずがありません。

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一神教を拒むわけ

このように考えれば、日本人がなぜキリスト教などの一神教を受け入れないのかもわかります。キリスト教はじめアブラハム宗教の大前提は、自然界とは独立して存在し、外から自然界(天地)を創造したヤハウェの神の崇拝です。天地は神の創造物であり、神から選ばれた人間は動植物を含めた自然界を対象化し、操作し、制御してかまいません。日本人にそんな大それたことが受け入れられるはずがありません。

 

人智で逆らいようがない自然界の恐さ―、それを骨の髄から味わったのが縄文人たちだからです。

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