E.N.R. クリプトモネダス

"Everybody Needs A Retreat." - 雑記帳

無神論と不可知論ってどこがどう違うの?

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カタカナで「アグノスティック」を画像検索すると、こんな強面の方々がドバーッと出てきます。この面構えは欧米人の「神に対する緊張感」をよく示しています。


あちらでの「脱宗教」化の重み?

日本ではありえないことですが、英語圏で暮らしていると、折に触れ、宗教を意識させられます。

神に対する態度を決めないと、まともな人間と見なされないし、社会の評価も得にくいです。極端な話、就職や結婚にも差し支えます。

そのせいでしょうか?

人が神についてどんな考えをしているかについては、日本の雨を表すボキャに似て、うるさいくらい違うことばがあります。今回は、この神に関することばの違いを説明しようと思います。

 

 

ブログ主が説明しても説得力なさそうなので↓の英文記事をネタにしています(一部割愛しながら引用しますのであしからず)。

 

無神論者(atheist)と不可知論者(agnostic)

No matter what their reasons or how they approach the question, agnostics and atheists are fundamentally different, but also non-exclusive. Many people who adopt the label of agnostic simultaneously reject the label of atheist, even if it technically applies to them.

不可知論者(agnostic)と無神論者(atheist)は根本的に違うが、両立しない概念でもない。不可知論者の多くは「無神論者」というレッテルを嫌うが、実際に無神論者である場合もある。

In addition, there's a common misconception that agnosticism is somehow a more “reasonable” position while atheism is more “dogmatic,” ultimately indistinguishable from theism except in the details. This is not a valid argument because it misrepresents or misunderstands everything involved: atheism, theism, agnosticism, and even the nature of belief itself.

加えて、世間には「教条主義的な」無神論に比べ、不可知論は「穏当(理性的)」であり、細かな点を除けば、結局は有神論と同じだ、という思い違いがある。根拠のあいまいな議論なのだ。どうしてか?不可知論を有神論の変種と見なせば、いま議論している無神論、有神論、不可知論のそれぞれが不正確に理解されてしまう。もっといえば、信仰の本質が誤解されてしまうからだ。

 

無神論者の定義

An atheist is anyone who doesn't believe in any gods. This is a very simple concept, but it's also widely misunderstood. For that reason, there are a variety of ways to state it.

Atheism is the lack of belief in gods; the absence of belief in gods; a disbelief in gods; or not believing in gods.

無神論はいかなる神も信じない人のこと。とてもシンプルだが、広く誤解されたままの概念でもある。そのせいか、無神論にはいろいろな定義づけがなされる。

曰く「神への信仰の欠如である」、曰く「神への信仰の不在である」、曰く「神への不信である」、曰く「単に神を信じないことである」・・・。

The most precise definition may be that an atheist is anyone who does not affirm the proposition "at least one god exists." This is not a proposition made by atheists.

しかし最も正確に無神論者を定義するなら「『最低一柱は神が存在する』という前提を承認しない人」が無神論者なのである。

Being an atheist requires nothing active or even conscious on the part of the atheist. All that is required is not "affirming" a proposition made by others.

無神論者であるためには取り立てて自発的な行動は必要ない。自分が無神論者だという自覚もいらない。他人が受け入れている上記の「前提」を否認すればいいだけである。

 

不可知論者の定義

An agnostic is anyone who doesn't claim to know whether any gods exist or not. This is also an uncomplicated idea, but it may be as misunderstood as atheism.

これに対して、不可知論者とは「神が存在するかどうかについて態度を保留している人」のことだ。こちらも概念は複雑でないが、無神論と同じ程度に誤解されている。

One major problem is that atheism and agnosticism both deal with questions regarding the existence of gods. Whereas atheism involves what a person does or does not believe, agnosticism involves what a person does or does not know. Belief and knowledge are related but nevertheless separate issues.

誤解されやすい最大の理由は、無神論も不可知論も神の存在に関わる概念だからだ。無神論の関心は「ある人が神を信じるか信じないか」にあるのに対して、不可知論の関心は「ある人が神について何を知っていて何を知らないか」にある。「信じること」と「知ること」は無関係ではないが、かといってイコールでも結べない別個の問題だ。

不可知論者をあぶりだすテスト

There's a simple test to tell if one is an agnostic or not. Do you know for sure if any gods exist? If so, then you're not an agnostic, but a theist. Do you know for sure that gods do not or even cannot exist? If so, then you're not an agnostic, but an atheist.

ある人が不可知論者かどうかがわかる簡単なテストがある。「あなたは神が存在すると確実に知っていますか?」(≒神の存在を確信していますか?)と質問されて、イエスと答える人は不可知論者ではない。有神論者だ。

「あなたは神が存在しない(存在しえない)と確実に知っていますか?」(≒神の不存在を確信していますか?)と質問されて、イエスと答える人は不可知論者ではない。無神論者だ。

Everyone who cannot answer "yes" to one of those questions is a person who may or may not believe in one or more gods. However, since they don't also claim to know for sure, they are agnostic.

The only question then is whether they are an agnostic theist or an agnostic atheist.

どちらかひとつでもイエスと答えられない人は、神を信じている可能性もあるが、信じていない可能性もある。しかし神の存在(あるいは不存在)を確信的に知っているとも思っていないのだから、その人は不可知論者である。

だから唯一誤った誘導にならない質問は、ある人が「不可知論的な有神論者」なのか「不可知論的な無神論者」なのかを問うことなのである。

 

途中のまとめ

話がややこしいので、ちょっとブレークしましょう。

いろいろ書いてありますが、ポイントは、無神論者は「神の不在を確信的に知っている」のに対し、不可知論者は「神の不在を確信的に知っていない」という点です。不可知論者が「神の不在を確信的に知っていない」からといって、それすなわち「神の存在を信じている」「神を信仰している」ことを意味しません。

不可知論者は無神論と有神論のどちらにも行く可能性があるのです。そのため、四種類の人間が想定されうることになります。

  • バリバリの無神論者(神の不在を確信している、少なくても自分ではそう確信している)
  • バリバリの有神論者(神の存在を確信している、少なくても自分ではそう確信している)
  • 「不可知論者と同じように確信は持てないけど、とりあえず神はいないと思う」無神論
  • 「不可知論者と同じように確信は持てないけど、とりあえず神はいると思う」有神論者

 ヨーロッパにおいては、19世紀に入るくらいまで、バリバリの有神論者が健全な人間のデフォルトで、バリバリの無神論者は精神異常か悪魔でした。不可知論者については微妙ですが、不可知論者なのなら「自分は無神論者です」とは言わない方がずっと世渡りが楽だった(それどころか命が保証された)はずです。

でも、いまも昔もマジョリティは不可知論者なのじゃないかと思います。昔は「有神論的な不可知論者」が多く、いまは「無神論的な不可知論者」が多いという違いはありますが。この変化には啓蒙時代以降の合理(理性)主義、自由主義個人主義、科学主義などが大いに影響しているでしょう。

では、引用に戻ります。

 

不可知論的無神論者vs不可知論的有神論者

An agnostic atheist doesn't believe in any gods while an agnostic theist believes in the existence of at least one god. However, both do not make the claim to have the knowledge to back up this belief. Fundamentally, there is still some question and that is why they're agnostic.

不可知論的無神論者はいかなる神も信じない。不可知論者的有神論者は少なくても一柱は神が存在すると信じている。では、彼らはどちらもなぜ「そのことを知っている」と主張しないのか?そこにはまだ考えていない理由があって、それが彼らを不可知論者たらしめているのだ。

This seems contradictory and difficult, but it's actually quite easy and logical.

Whether one believes or not, they can also be comfortable in not claiming to know for sure that it's either true or false. It occurs in many different topics as well because belief is not the same as direct knowledge.

こういうと矛盾をはらんだ難しい議論が予想されるかもしれないが、そんなことはない。きわめて論理的で簡単にわかる話だ。

人はあることを信じているか信じていないかにかかわらず、それを正しいか間違っているか確実に知っていると主張しない方が心地よいのだ。神の問題に限らず、何かを「信じている」のと「じかに知っている」のは違うからだ。

Once it is understood that atheism is merely the absence of belief in any gods, it becomes clear that agnosticism is not, as many assume, a “third way” between atheism and theism. The presence of a belief in a god and the absence of a belief in a god does not exhaust all of the possibilities.

無神論が神への「信仰の不在」に過ぎないことがわかれば、不可知論が、多くの人の思うように、有神論と無神論の間にある「第三の道」ではないのは明らかだろう。神への「信仰の存在」と神への「信仰の不在」が選択肢のすべてではないからだ。

Agnosticism is not about belief in god but about knowledge. It was originally coined to describe the position of a person who could not claim to know for sure if any gods exist or not. It was not meant to describe someone who somehow found an alternative between the presence and absence of some particular belief.

不可知論とは神への信仰そのものを表す概念ではない。神の存在に関する人間の知識を表す概念である。そもそも、このことばは、神の存在も不存在も確かに知っていると主張できない人の立場を表すために生み出された。特定の信仰が存在するかしないかを二者択一的に選ぶ立場を表すためではないのだ。

Yet, many people have the mistaken impression that agnosticism and atheism are mutually exclusive. But why? There's nothing about "I don't know" which logically excludes "I believe."

それなのに不可知論と無神論は相互排他的な関係にあると誤解する人が後を絶たない。なぜだろう?「わからない」は論理的に必ずしも「信じる」を意味しないではないか。

On the contrary, not only are knowledge and belief compatible, but they frequently appear together because not knowing is frequently a reason for not believing.

It's often a very good idea to not accept that some proposition is true unless you have enough evidence that would qualify it as knowledge. Being a juror in a murder trial is a good parallel to this contradiction.

「知っている」と「信じる」は矛盾しない。いや、それどころか、しばしば同時に成立する。実際「知らない」は容易に「信じない」に結びつきやすい。

たとえば、ある命題が真である主張されている場合、その主張が知識(客観的事実)だと認定できるだけの証拠がない限り、その主張は認めないのが賢明である。殺人裁判の陪審員になることを考えれば、主張と真実の間にある溝は明白だろう。

不可知論者ではない人vs無神論

By now, the difference between being an atheist and an agnostic should be pretty clear and easy to remember. Atheism is about belief or, specifically, what you don't believe. Agnosticism is about knowledge or, specifically, about what you don't know.

以上で無神論者と不可知論者の違いは、今後忘れない程度にクリアになったはずだ。無神論は「あなたが何を信じない」かという信仰に関する問題意識であり、不可知論は「あなたが何を知らない」かという知識(客観的事実)に関する問題意識である。

An atheist doesn't believe in any gods. An agnostic doesn't know if any gods exist or not. These can be the exact same person, but need not be.

無神論者はあらゆる神を信じない。不可知論者はどの神であろうと神がいるかいないかを知らない。この二つを同時に満たす人もいるが、そうでない人もいる。

In the end, the fact of the matter is that a person is not faced with the necessity of only being either an atheist or an agnostic. Not only can a person be both, but it is, in fact, common for people to be both agnostics and atheists or agnostics and theists.

無神論者か不可知論者か、そのどちらかひとつでなければいけないということはない。不可知論者の無神論者ががいるように、不可知論者の有神論者もいる。人はどちらの立場もふつうに取りえるのだ。

無神論者に対する偏見

It is worth noting that there is a vicious double standard involved when theists claim that agnosticism is “better” than atheism because it is less dogmatic.

無神論者のように教条主義的でない分、不可知論者の方が「ましだ」と有神論者が主張する場合、それは悪質なダブルスタンダードであることに気をつけよう。

If atheists are closed-minded because they are not agnostic, then so are theists.

無神論者が「不可知論者でない」ことをもって偏狭だというなら、有神論者も偏狭だといわざるをえない。

People who are unafraid of stating that they indeed do not believe in any gods are still despised in many places, whereas “agnostic” is perceived as more respectable.

現代でも、神を信じないと堂々と主張する人は多くの場合、軽蔑される。しかし「不可知論的に」同様の主張をした人はそれなりに尊重されるのである。

<記事引用終わり>

 

 メンドくさい議論だが・・・まとめ

訳していても面倒になりましたが、この説明記事がすっきりしないとすれば、「不可知論」の反対概念である「可知論」を交えて議論していないからです。

信(atheist vs theist)と知(agnostic vs gnostic)の問題

日本では「可知論」なんてことばは聞かないと思いますが、英語では agnostic vs gnostic、そう有名な「グノーシス」って「可知論」のことなんですね。"a" は否定を表す接頭辞です。theist に対する atheist も同じ伝です。

この「信」と「知」の関係性は、合理主義全盛の現代でもけっこう大事な問題になっています。「不合理ゆえにわれ信ず」(ラテン語 "Credo quia absurdum")ってやつですが、これ、紀元後3世紀なんていうキリスト教初期の時代からある観念なんです。

ja.wikipedia.org

 

下の図を見れば、信と知のくんずほぐれつの関係性が少しスッキリわかるかもしれません。

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出典: https://www.quora.com/When-will-the-United-States-have-an-agnostic-or-atheist-president

 

上の2つ、可知論者かつ無神論者、可知論者かつ有神論者って強いんですよね。なんせ神がいるかいないか「100%確信がある」わけですから。これは相当なもんです。見神体験なんてことばもありますから、有神論者の方はまだしもわかります。

すごいと思うのは、100%シュアな無神論者の方です。どうやったら、神の不在を「完全に確信」できるんでしょう?しかもキリスト教社会でそんな主張するなんて!見上げた根性です。

実はこれ「知」の問題の根幹ですね。科学が神を超えるかという問題であって、AIの開発なんかにも大いに関係してくるホットなテーマです。

 

大方の人は下の2つのどっちかではないでしょうか?

神は「何となくいるんじゃね?」か「何となくいねぇんじゃね?」の二択です。

全世界の少なくても半分程度は一神教徒なわけですが、そのマジョリティは「何となくいるんじゃね?」派(agnostic theism)なんじゃないかと思います。

 

グノーシスについて

さきほども言いましたが、agnoticの反対語はgnosticで、その語源はギリシャ語のgnosisです。意味は「知」(知識、知恵)です。

gnosticismといえばグノーシス主義とかグノーシス思想。これはヘレニズムといって、アレクサンダー大王がにっくきペルシャを滅ぼしてギリシャ帝国を建てた時代から連綿と成長してきた、キリスト教のネガのような宗教思想です。

彼らは何を100%確信したのかといえば「世界の実相」についてです。少なくてもグノーシストの主観の中では、本来の崇高で善なる霊が悪に転落し造ったのが現実世界なのです。この世界は堕落しているのです。

元の善なる霊性を人間は取り戻さなければいけないというのが彼らの主張です。それも外から取り込むんじゃなく、内なる霊性に目覚め、霊を通じて「一者」(プロティノス)へ回帰せよと。

キリスト教が現実世界の外部に神という規範を求めるのに対し、グノーシス主義は神が与えた人間の内なる霊性に規範を求め、現世的な事柄を軽視するわけです。

グノーシス主義は、プロティノスを通じてプラトンイデア論キリスト教に導入したものとも言えます。グノーシスのレベルで見ると、先ほどの「信」と「知」の問題は二項対立的なものではなく、むしろ統合すべきものと捉えられているのですね。

 

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出典: http://www.chalquist.com/writings/junggnostics/

 

当然、グノーシス主義は弾圧され迫害され、歴史の闇へ消えたはずでした。ところが西洋では(いや実はイスラム世界でも)地下世界で命脈を保ち続けました。っていうより、西洋の芸術家、哲学者、神学者、科学者たちで、グノーシスに代表される神秘思想(mysticism)に影響されなかった人の方が珍しいです。

それは現代でも同じで、神秘思想はマンガ、アニメ、SF、小説、イラスト、絵画なんかのネタの宝庫になっています。

このような現象は、近代以降、二項対立的に捉えられがちな「信」と「知」の関係をどうするのかという問題が絡む以上、当たり前の反応とも言えます。