E.N.R. クリプトモネダス

"Everybody Needs A Retreat." - 雑記帳

日本宗教概説 ― 神と仏とゴッド

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今回は神と仏について改め考えてみようという企画です。なぜ宗教なのかといえば、日本の宗教ほど日本人の特性をよく表しているものはないと思うからです。

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 日本は無宗教世俗国家?

よく日本人は「無宗教」だと言われます。最近では国際調査なども頻繁に行われているので、日本人の無宗教ぶりは世界にも知れ渡ってきています。

この辺のことは以下の記事に詳しいので、興味があれば参照してください。

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この記事からひとつ表を引用します。

日本は先進諸国の中でも、(6)の神の存在を信じて疑わない生粋の宗教人が、あの左派リベラルの王国フランスや北欧諸国に比べてさえ少ない国です。

西洋基準では、日本は世俗国家(secular state)の筆頭なわけですが、組織宗教離れしているということが世俗化の意味なのであれば(西洋ではキリスト教会離れを意味する)、確かに日本は昔から世俗国家です。

 

大事なのは、にもかかわらず、国際的に見たら日本人はモラルが高く、徳義心の厚い国だという点です。では、日本人が宗教に帰依せずとも高いモラルを内面化できている秘密はどこにあるのでしょうか?

 

 

日本宗教史を貫く心棒

よくなされる説明のひとつは儒教の影響です。中国というのは本質的に現実主義的で非宗教的な度合いの強い文明なので、そのある種の合理性の影響で、武家社会を通じて日本人に道徳が根づいたというのですが、確かに一面の真実ではあるでしょう。

 

もうひとつ、アニミズム的世界観の影響ということもいわれます。日本列島はプレートのせめぎ合う、比較的新しく出来た陸地なので経年変化が激しい土地柄です。当然、造山活動や地殻変動の影響を強く受け、地震や噴火、台風といった災害に事欠きません。

そのような災害大国では自然に順応して生きることが生存の基本条件であり、自然は恵みの源泉であると同時に、災厄の源泉でもあります。だから、謙虚に生きざるを得ない。そして人と人が力を合わせなければ、自然に打ち勝てない。そこから社会道徳や和の精神が育まれたというのです。これも多くの真実をついていると思います。

 

先祖崇拝の力

しかし、もうひとつ大事なファクターがあります。それが先祖崇拝(ancestor worship)です。

四囲を海に囲まれ、大陸から孤絶したこの島嶼国家には太古の時代から多くの民族が流入してきたようです。最新のゲノム解析でも日本人のDNA構成は、お隣の朝鮮や中国とはまったく組成が違っています。

その混淆状態は宗教にも反映されていて、日本の宗教世界は神道仏道が混淆したうえに、あとから儒教まで入ってきているので複雑な様相を呈しています。

 

明治以降の「規格化」宗教

明治以降、欧米の影響が強くなると、キリスト教の布教も再開されました。また、幕末期の欧米侵略への危機意識に発したナショナリズム黒住教金光教天理教など神道系の新宗教教派神道)も興隆させましたので、まさに百花繚乱のカオス状態です。にもかかわらず、日本人が困った様子はありません。

加えて明治政府は欧米列強に対抗すべく日本宗教の「規格化」を進めました。

「どうやら欧米はイエスという教祖を地上に遣わしたゴッドなるものを唯一無二の存在と奉じているようだ。我が国も至急、国民全体を糾合する単体の神を立てねばマズイ。よし、伊勢の天照を柱に据えよう。」

・・・というわけで急速に天照を疑似一神化した宗教体系の整備が進められます。

 

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大迷惑を蒙ったのは神仏習合で神社に同居していた寺院です。寺社は無理やり切り離されてしまいました。このことの影響は大きく、庶民の生活と宗教界の仲が次第に疎遠になっていきました。

仏教の坊さんは葬式や法事くらいしか用のない存在となり、神主の方も同様にコミュニティの顔役たる信頼を失いました。皮肉なことに、疑似一神教体制が日本人の宗教離れを推進する結果となったのです。

 

キリスト教だけは浸透しなかった

でも、その隙をついてキリスト教が日本人の精神生活に入っていく、ということにはなりませんでした。キリスト教は「個人の宗教」として西洋人のこころをつかんでいったのですが、日本にはすでに日本仏教という強力なライバルがあったせいでしょう。

西洋列強の侵略パターンは決まっていて、物心両面で攻撃を仕掛けます。まずミッションなる坊主と商人の一団が現地の有力者に取り入り、経済的旨味を味合わせた後で宗教で洗脳します。そして教会を通じて学校をつくるなどして、何世代も洗脳を続けて、宗主国とずぶずぶの関係を築きます。こうして現地のエージェントを通じた間接支配(=資源搾取)を行うわけです。

同時にイデオロギーによる分断工作も行われます。一枚岩の抵抗を防ぐためです。現代でいえば、中国寄りの左派思想(大きな政府、国有化、規制強化)と、新自由主義的な疑似保守思想(小さな政府、民営化、規制緩和)の対立です。

 

分断工作をはねつけるもの

明治の日本でもこうした侵略が部分的には試みられたようですが(その証拠に多数のミッション系教育機関が現在に居るまで存在します)、本格化することはありませんでした。

むしろ西洋的な素養を身につけた哲学者や文学者など一部のインテリが、自発的に西洋的な価値観の影響を受けました。たとえば、恋愛が人生の至上命題であるかの考え方は西洋由来のloveの影響なくして考えられません。江戸に色恋沙汰はあっても恋愛などという代物はなかったのです。この傾向は現代のマンガやドラマなどにも引き継がれ、若者は恋愛を一種の義務のように感じるよう仕向けられています。

いずれにしろキリスト教そのものが一般人の生活に与えた影響は少なく、政治問題に発展するようなことはありませんでした。

政治家の関心は富国強兵に、一般人の関心は立身出世に傾いており、みんなおまんまが食べられれば宗教などどうでもよかったのです。

 

無宗教というより「脱」組織宗教?日本史を貫く是々非々の原則

この「宗教などどうでもいい」状態こそ、あまり声高にいわれませんが日本が近代化の優等生になれた秘密だと思います。

日本史に一貫しているのは是々非々の態度です。いいものは素直に取り入れ、ピンと来ないものは潔く切り捨てる。この態度が宗教に対しても、鎖国時代の海外受容に関しても当てはまります。どうしてそういうことになるかといえば、すでに受容するための受け皿がこちら側にあるからです。受け皿がなければ、拾う捨てるの区別ができません。

 

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たとえば、鎖国時代の交易相手の選定です。関心を示していた西欧国は多くあったのになぜオランダを選んだのか?おそらく最も思想的にい無害なプロテスタント国だからです。スペインやポルトガルカトリック国なのでキリスト教本流で、本気で普遍性(=カトリックの原義)を目指します。幕府の警戒心は過去の経験から強く働いたのでしょう。

 

それに対してプロテスタントは予定論(救われる者はあらかじめ決まっている)の差別主義者なので、日本人を人間とは見なしていません。端から布教など関心はなく単に利得商売が目的です。情報と物資のやり取りだけしていればよく、かえって日本には好都合でした。こういうことを的確に見抜く武家社会というのは大した炯眼だと思います。

 

是々非々のものさしは先祖への崇敬

日本には宗教思想にも確固たる取捨選択の基準があります。先述の先祖崇拝(先祖供養、祖霊信仰)です。日本人は先祖の御霊をもっとも尊ぶのです。

その証拠に、ひとつひとつの家にはぜんぶ祖霊がいて、家と家が結ばれて氏になると氏神となり、それが為政者(天皇家)の先祖である場合、天孫族となります。ローカルな土地を守る産土の神から天照や素戔嗚まで、すべての神々を貫く芯は先祖崇拝に他なりません。

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先祖崇拝という視点で見れば、なぜ仏教は受け入れ、アブラハム宗教は拒むのかがわかります。仏教はけっして先祖を否定しません。むしろ個人の内面(プライベート)の信仰として浸透していきます。

これに対してキリスト教の場合、まず大前提として唯一神を受け入れなければなりません。日本人から見れば、先祖より、どこの馬の骨か知れない神を優先せよというのですから納得がいきません。いや優先どころか、そんなものは異端だ、邪教だとレッテル貼りをされるわけです。日本人の基本感情にそぐわないのは当たり前です。

 

率先して改宗した人間も少なくなかったそうですが、結局、政治のレベルで受け入れませんでした。遠藤周作の『沈黙』では日本の宗教風土が底なし沼にたとえられていますが(それを強調するために残酷な拷問まで描かれています)、押し売りが玄関先で客が悪いとわめいているなものようで勝手な話です。

キリスト教徒といえば、同じキリスト教徒の間で日本の拷問など足元にも及ばない過酷な殺戮を繰り返した人たちです。日本が底なし沼だとしたらヨーロッパは血の池地獄です。

おそらく宣教師側は底なし沼の理由をうすうす感づいていたのではないと思います。でも驕り高ぶった彼らは、それを古くさい迷信だと一笑に付したのでしょう。

 

西洋人が捨て去り復讐されるもの

なぜなら先祖崇拝は西洋ではある種のタブーだからです。先祖崇拝こそ、彼ら西洋人が遠い昔に捨て去り、折に触れて彼らを苦しめる本当の原因なのです。

第一、本当に身も心もキリストに帰依できているなら、プロテスタントは生まれなかったはずです。あれはゲルマン人のゲルマン魂がカトリックに反発したのだとしか考えられません。つまり先祖崇拝を失ったゲルマン人が、先祖への罪障感にさいなまれた結果、無意識の裡にカトリックからの独立にはけ口を求めたのではないでしょうか。

宗教改革後もゲルマンの地では先祖帰りの血がくすぶり続け、19世紀から20世紀前半にかけて大爆発を起こしました。

中東の砂漠で生まれた宗教をまるで我がもののように扱うなんてアクロバティックな芸当は日本人にできなくて当然です。それが土着性というものであり、愛郷心の根底ではないでしょうか。

平成も30年になろうかという現在にさえ、日本人のこころの奥底には先祖の御霊が住んでいます。でなければ、お盆の大渋滞はありえません。無意識のうちにご先祖様に会いに帰っているのです。

天皇家はそうした我々日本人の代表であって、いわば家族の中の家族だから尊崇を受けているのだと思います。もし天皇が国民統合の象徴であるなら、それは日本の家族の象徴なのです。

 

古代は先祖崇拝こそ宗教の王道

ところで、これは小泉八雲ことラフカディオ・ハーンが言っていることですが、先祖崇拝はアブラハム宗教が生まれる前の時代まで、世界のメジャー宗教だったのです。宗教=先祖崇拝という時代が長く続いていたのです。これはギリシャでもメソポタミアでも基本的に変わりません。

宗教は政治(統治体制)とともに移り変わります。家族が中心の社会では先祖崇拝で万事支障がありません。それが王をいただく国家になっても、王の一族の先祖が神格化されるだけで基本的に先祖崇拝であることは変わりません。

 

帝国化=一神教の誕生

ところが国と国が争い、勝者が敗者を吸収し帝国化する時代に入ると、支配者の神が、服属国の神にもなるので、そこに自生的な先祖崇拝とは異なる、越境性のファクターが入り込みます。帝国を支配するにはそれなりに大風呂敷を広げる宗教が必要になるのです。

たとえば、ペルシャ帝国はアブラハム宗教の元祖とも呼べるゾロアスター教を生み、ローマ帝国イスラエルを併合するなかでキリスト教を採用しました。つまり唯一神教の神とは、帝国経営のための神様だったのです。

世界が帝国のせめぎあいの時代になったとき、先祖崇拝の神は脇へ追いやられるか、滅ぼされるか、あるいは悪魔として取り込まれるかという運命を辿りました。ヨーロッパ諸国も同じです。ゲルマン民族にはゲルマン民族の祖霊信仰があり、ケルト民族にはケルトの先祖神がありました。

ヨーロッパにおける在来信仰の放棄

それが打ち捨てられたのはローマ帝国進出の影響です。カール大帝ローマ皇帝を戴冠した時点で、ヨーロッパは文化的、宗教的に祖霊信仰を脇の世界へ放逐したのです(放逐しても基層には残っているので、オカルトや神秘主義や文学や絵画のインスピレーションたり続けていますが・・・)。

日本は島国という幸運が手伝い、このようなユーラシアの帝国化の影響をほとんど受けず独自な発達を遂げました。宗教も、アブラハム宗教に冒されることなく、先祖崇拝を色濃く受け継ぐ神道が主体となって発展しました。

仏教は主に家族としてではなく個人として人生を考える手段となって日本人に内面化されていったのです。そもそも仏教は日本に土着化していった過程で十分に日本的に換骨奪胎され、日本仏教としか呼びようのないものに変容していたので、殊更、神道・仏教という風に分け隔てする必要も本来はないのかもしれません。分けて考えるのは明治の神仏分離以降の悪癖と考えられます。

 

アブラハム宗教への対応

イスラム教の伝来

明治期には、アブラハム宗教のひとつイスラム教が細々とではありますが、日本に進出を果たしています。

日本のイスラーム歴史 – Islamic Center Japan

上記サイトによれば、西洋の帝国主義支配が世界を席巻していた19世紀末、アジアにはオスマン帝国と日本の2つしか独立国がありませんでした。両国はお互いの独立を死守すべく両国の協力関係の強化に努めました。特筆すべきは1890年、元首アブデュルハミトⅡ世の使節団が来日し、天皇に謁見したトップ外交です。

ところが使節団の船団は、その帰路、日本領海内で猛烈な台風に呑み込まれ、多くの死傷者を出してしまいました。この後のことは、記事から直接引用しましょう。

故郷に帰る生存者を乗せた船には、トルコ人殉教者の家族のための寄付を立ち上げた野田寅次郎という若き日本人ジャーナリストが乗っていた。野田はイスタンブールに旅立ち、寄付金をトルコ当局に手渡した。そしてアブデュルハミトⅡ世にも謁見した。アブデュルハミトⅡ世は野田に、イスタンブールに滞在し、オスマーン帝国の将校たちに日本語を教えることを依頼した。野田がイスタンブールに滞在していた時、野田にイスラームを紹介した英国のリバプール出身のイギリス人ムスリムのアブドッラー・ギロームに出会った。トルコの当時の文献が示す通り、野田は長い議論の末、イスラームが真実であるという全面的な確信に至り、イスラームを受け入れ、アブドゥルハリームという名を選んだ。事実、アブドゥルハリーム野田は最初の日本人ムスリムと考えられるだろう。

しかしイスラム教は日本ではまったく人気が出ず、メジャー化する気配がありません。

 

キリスト教の伝来

規模の違いこそあれ、キリスト教についても同じことが言えます。それまで禁教扱いになっていたキリスト教は明治政府に布教を許されるのですが、一向にメジャー化する気配がありません。明治以降の質量ともに圧倒的な欧米文化受容を考えるとき、なぜ宗教だけは受けつけないのか?首をひねる人も少なくないようです。

キリスト教イエズス会の宣教師フランシスコ・ザビエルによって日本に紹介されました。ザビエルの難題は、自分たちのdeus(God)を日本人に何と呼ばせればいいかでした。はじめは仕方なく音通りに「でうす」で通していました。

 

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デウスでは呼びかけても親しみが湧かない、と日本人の不満が募ります。そこで太陽や創造主などを意味する「大日」という呼び名に変えました。ところが「大日」というのは真言宗曼荼羅の本尊を務める如来だと知ります。仏教の仏と聖なるGodが同じ名前ではいかにも具合が悪い。

窮余の策として宣教師たちは「天主」という訳語を中国から輸入しました。これは「天にまします我らが主」ということで、なかなかの名訳です(主とは英語のlordの訳語で、現代の聖書でも一貫してlordは主と訳されています)。

大名の中にも帰依する者が現れ、布教も軌道に乗り始め、「God=天主」で定着しかかったのですが、折悪しく、キリスト教の布教自体が禁止されてしまいます。一説には、宣教師に随伴した南蛮船が多くの日本人を奴隷として東南アジアに売り飛ばしている事実が、時の為政者秀吉にばれたせいだととか。

結局、「God=天主」は立ち消えになりました(隠れキリシタンを除けば、日本人に広く知れ渡ることはありませんでした)。

 

東アジアのキリスト教:Godは「天主」か「上帝」か「神」か?

では「神」(しん)という概念の生みの親であるシナではどうだったのでしょうか。ついでに見ておきましょう。

 

清国を舞台に英米対立

日本の幕末時代、中国は清の治世でした。列強の侵略を受けていた清国には、英米からプロテスタントの宣教師が多く入ったのですが、聖書を中国語化する際、Godの訳語を巡って英米の間で対立が起こりました。

イギリス人宣教師は「上帝」が適切といい、アメリカ人宣教師は「神」でかまわないと主張してお互い譲りませんでした。

イギリス人宣教師の理屈はこうです。

「中国語の神は "invisible being" を原意とし、森羅万象の "spirit" を表す概念である。精神という語に見られるように人に従属する場合もある。したがって "supreme being" であるGodには相応しくない。」

ところがイギリス人の選んだ「上帝」はいわくつきのことばでした。中世、初めて中国へ布教に訪れたカトリック宣教師は、政治上の皇帝と混同されるおそれのある「上帝」 の使用を避け「天主」に一本化していたからです。

プロテスタントのメンツ

ところが、何事につけカトリックと差別化したがる新教徒としては、旧教の訳語「天主」を採用しては沽券にかかわります。だから「天主」は最初から却下で、「上帝」と「神」かの二者択一になったのというわけです。

人間のメンツで呼び名を変えられては神も苦笑いだったでしょうが、結局、双方妥協点を見いだせず、異なる訳語を充てたまま、中華版聖書には2つのバージョンが出来上がりました。

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もっとも以上は東アジア内部のみの話で、バチカンではあくまでサビエルたちの「天主」の伝統に則っていました。こうして同じGodに「天主」(バチカン)「上帝」(イギリス)「神」(アメリカ)の三つの名前が併存する事態に陥ってしまったのです。

清国の内乱

そこへ、「上帝=唯一神」というコンセプトに心酔する洪秀全という原理主義的なキリスト教徒が現れました。西欧列挙の搾取が長く続いて国土も人心も荒廃し、天国への救済を説くキリスト教が魅力的にうつったのでしょう。洪は聖書を精読し、偶像崇拝禁止の命令を忠実に守るべく、近所の寺や祠に置かれている偶像を片っ端から破壊し始めました。中国は儒仏道の混在する多神教社会なので、いくらでも破壊対象がありました。はじめこそ洪ら数人のマイナーな行動に過ぎませんでしたが、次第に救済思想が現世利益の宣伝に変質し、社会の底辺へ浸透していきます。

やがて洪をリーダーとする拝上帝会という宗教組織ができ、反政府活動に手を染めていきます。捨ておけない公権力が拝上帝会の弾圧に乗り出すと、逆に拝上帝会の結束が強まります。遂には革命組織へと変貌を遂げて、首都・南京を奪うまでに至りました。

これが太平天国の乱と呼ばれる大規模な内乱の引き金となって清国全土を騒乱の渦に巻き込みました。ただでさえアヘン戦争で疲弊していた清国政府はこの内乱でさらに弱体化しました。この混乱は日本の明治維新前後にいったんは収束しましたが、最終的には日清戦争の敗北へとつながっていったのです(別にキリスト教だけのせいとは言いませんが、欧米列強は手を変え品を変えして中華文明を蹂躙し崩壊させていったことになります。日本は意図せず、その決定打を打ってしまいました)。

東シナ海を渡った「神」

明治政府がキリスト教への禁制を解くと、新たな日本語版聖書がつくられることになりました。主導的立場に立ったのはアメリカのプロテスタント系宣教師でした。プロテスタントはもはや訳語に迷うことなく、中国式の「神」をそのまま採用しました。不思議なことに日本側は何の抵抗も示されず、そのまま「God=神」「lord=主」で定着していくことになりました。当然「でうす」「天主」「上帝」は死語になりました。

 

「神」到来と日本語という防御壁

音読みと訓読みの使い分け

「神」を聖書の日本語翻訳に採用したのは、ローマ字で有名なアメリカ人ヘボンです。彼は神道の「かみ」と区別するため「しん」と訓ませるつもりだったらしいのですが、日本人ならわかるように「我、汝の唯一のしんなり」ではすわりがよくありません。「唯一のかみなり」が自然です。この読み替えにより日本では「God=神」として定着していくことになったのです。

かみという包括概念

以上を整理すると、日本語の「かみ」は当然中国の「神」(しん)とは異なる概念だから、そもそも「かみ→神」の段階で翻訳による齟齬が生じていました。そこへ今度は「God→神」がもたらされると、「神」というひとつのことばが、キリスト教唯一神道教の神、神道のかみをすべて担うことになりました。日本人は知らず知らずのうち「神」を脳内変換する道を選んだわけです。

「かみ」は歴としたやまとことばです。先祖の偉人を崇める人格神の場合も、自然の霊威を畏れる非人格神の場合も、日本では「かみ」と呼びならわしてきました。「そこにひとりくらい偉い奴が加わっても大した問題じゃない」―、そういう無意識が働いたのかもしれません。それくらい日本人の「かみ」の包摂範囲は広かったといえるでしょう。

インドのヒンドゥー教でも仏陀が八番目の神だかに取り込まれているらしいのですが、仏教徒にとっては由々しき事態でも、多数派のヒンドゥー教徒にとってはどうってことはない問題です。日本にも、それと似たところがあるのかもしれません。

男神と女神

また歴史的経緯として、godは暗黙の裡に男神であることが前提とされています。キリスト教以前の多神教世界では、ペルシャ、インド、メソポタミアギリシア、ローマのどこでもgodは霊威ある男神を意味し、女神にはgodessという別の語を充てていたからです(もっと古い時代には女神優勢だったのだが、それについては措いておきます)。

日本にも似た事情があり、通常、記紀で○○命、○○尊と呼ばれるのは男神であり、女神は「ひめ」(媛、姫)と呼びならわしています。

つまり理屈の上では、キリスト教イスラム教の唯一神は、本質は男が見ながら建前的には女神部分も包摂した総合概念なのです。すべてを包摂している以上、他の神々はもう用済みで要らないというわけです。

この点について考えれば、カトリックはアジアの宗教風土に合わせた「正しい配慮」をしていたのですが、原理主義的なプロテスタントにそのような配慮はありません。だから「神」一本で押し通す路線を選んだのです。この「国際標準化」が功を奏し、現代日本人は、神の一語から日本の神々を想起することも、唯一神としてのアブラハム宗教の神を想起することもできるというわけです。

 

 

ゴッドより先に仏がやってきた

最後に仏教にも触れておきましょう。西洋の神と出会う前、6世紀あたりに、仏教の仏様たちが日本へ渡ってきました。仏様には眷属として神々も随伴していました。

八百万の神々がいるところへ異国の神仏押しかけてきたので、それなりのすったもんだはあったようですが、まず皇室に受け入れられて落ち着きます。なぜ受け入れられたかというと、最初から日本の神のようなものとして、朝廷をお守りする助っ人という建前で入ってきたからです。

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また、来日の際の仏教布教の陣容も大したものでした。仏教は三宝というシステムで動くのです。システムの中身は、鳥の名前みたいですが仏法僧といって、仏は拝む対象である仏像、すなわち彫刻です。法は思想や教理を難しい漢字で書いたお経の束、僧は法を説き布教を行う坊さんの集団です。

まだ若い国だった日本にこの圧倒的陣容で来られては拒める者はいないでしょう。仏教はすぐさま支配層の皇室や貴族に浸透していったのです。新しもの好きはいまの日本人員限ったことではないのです。しまいには、みずから仏教徒になる天皇も続々と現れました。

それでもそのままでは雑然として具合が悪いというので、天竺の神仏の化身が日本の神々なのだという理屈が考え出され、神仏が共存の道を歩み始めます。いわゆる神仏習合です。結果、天照大神は偉い仏様の大日如来とペアリングされて、パンテオンの最上位に登りつめました。それでも、"the greatest of many deities" であって "the one and only deity" ではないので、日本は昔から唯一神というものを受けつけないようです。

文字文化と仏像

仏教がもたらしたもう一つ大事な要素は文字文化です。それまでの日本は大事なことは口伝で伝えていたので文字に記録するということはしていませんでした。

ところが、異国の教えが入ってくると、その教えを学ぶためにお経を翻訳する必要が出てきました。中国へ留学したエリート僧はともかく、他の日本人は漢語や梵語がわかりません。中国、朝鮮、インド、ペルシャなどから来日してくる僧侶や知識人とコミュニケーションをとるには会話のみならず、読み書きの方も必要になってきます。

最初は梵語を漢語訳したものをそのまま誦んでいたようですが、それでは不便で、日本人の僧侶が育ちません。仏教の裾野を広げるために、少しずつお経が日本語化され始めました。おそらく漢語は漢字のままで、和語はそれとは別に仮名で書き表すという習慣ができたのはこの頃です。弘法大師がひらがなを作ったとか、いろは歌を作ったとかいう伝説が生まれた背景には、それが事実かどうかと別に、そう言わしめる根拠があったということでしょう。

やってきたのがキリスト教でなく仏教だったのは日本にとってラッキーなことでした。キリスト教はひとつの神しか認めないので、ゴッドの帰化を受け入れれば在来の八百万の神々が路頭に迷います。へたをすれば悪魔にされかねません。

仏教は違いました。多神教と同じで、如来とか菩薩とか〇〇天とか、序列はあっても混在を許しています。

仏教はヒンドゥー教と同じくバラモン教の流れを汲みますから基本的に多神教の世界です。たくさんの神様が併存する余地があるのです。開祖のゴータマ・シッダールタ(お釈迦様)自身は偶像化に興味がなく、抽象的な思念の世界で教えを説きましたから、彼の生前には神様たちはいませんでした。

後世、お釈迦様のお弟子さん筋が何も拝む対象がないと漠然としてあんまりにも愛想がない、これじゃ信者が増やせないと考えて後から創ったものです。

日本に渡ってきた北伝仏教、いわゆる大乗仏教は、仏教の発生地とは離れたガンダーラ地方や中央アジアのサカ王国という場所で栄えた派閥ですが、このガンダーラが興隆した時代は、ギリシャマケドニア地方)のアレクサンダー大王ペルシャを滅ぼして更にインド西部や中央アジアにまで触手を伸ばした時代が過ぎ、ギリシャ系の貴族が小さな国の領主となっていた時期でした。そこに東西文化の混淆が起きたのです。

 

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ギリシャ多神教世界で彼らは彫刻やレリーフが得意ですから、大乗仏教もその影響を受けて仏像、神像を作り始めたのです。バーミヤンの摩崖仏はじめ、初期仏教美術が続々と生み出され、その後の北伝仏教に受け継がれました。

偶像化の流れの終着点が日本だったのです。日本は百済から仏師を招いたり、自前で養成したりして数々の仏像、神像を生み出していきます。

文字記録に興味の薄かった日本人はその分、かたち(様式化)にすることに深い関心がありますので、日本で作られた仏像はその均整美や優美さの点だけでなく、像が湛える深い精神性の点でも、古今に比較を絶する境地を表わしていると言えます。そのことは日本人がもう少し自覚的に誇っていもいい点ではないかと思います。

いまの日本人はあまりに西洋流の文字偏重文化に毒され過ぎています。それでもかたちを好む民族性は、無意識に、絵文字やアイコンの絵心に発揮されているわけですが・・・。

 

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