E.N.R. クリプトモネダス

"Everybody Needs A Retreat." - 雑記帳

無の精神と地震

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日本には抽象画とシュールレアリスムは生まれなかった。なぜか?地震が来るからだ。

どこかでこういう文言を読んだことがあります。

 

実際、横光も次のように言っています。これはフランス人向けの講演です。

 

横光利一 我等と日本

この恐るべき、地上の恐怖の中で、何ものよりも暴力を用いる地震の災厄は、戦争以上の文化の破壊を、易々としていたします。つまり、日本には、敵国の侵入に代って、自然の侵入があるわけであります。この地震の災厄は、歴史に現れている範囲では、二百六十回の多数にのぼります。一回の地震の度毎に、それまで営々として築いた国民の文化と伝統は、一朝にして、跡形もなくなります。すると、直ちに、日本は新しい文化の建設にかからねばなりません。このとき、われわれの祖先は常に、旧文化に優った新文化の創造を始めるために、他国の文化の最も長所を、われわれの伝統の中に移植しました。
 いったいこのような、一世代に一度は来る特種な国民の鍛錬というものは、その種族の精神に影響を与えない筈がありましょうか。われわれは、この災厄に襲われる度毎に、他国の文化と伝統の長所を見抜く眼識や、それを吸収咀嚼する才能に、ますます光りを加えました。しかしながら、この他国の文化の吸収摂取の加わるに従って、智識ある日本人の一部の者は、自国の伝統の尊重と模索に気がつき始めたのであります。絶えず伝統が踏み砕かれる島国の中で、伝統とは何かと気附く事、それ自体は悲劇であります。しかし、日本のルネッサンスは、この悲劇から始って来たのであります。即ち、他国の文化を受け入れる偏見なき精神と、それらを融合統一する伝来の無の精神とは何ら分つべき範疇と必要を持たぬという自覚。――これが近代日本の、諸精神の原動力を為すものであります。