コロナショック01:死を思いだした先進諸国
スポンサードリンク
今回から新型コロナウイルスCOVID-19現象の世界史的意義について所感を書き連ねたい。今回はその第一弾。
コロナ禍の破壊作用
自然に意思があるなら新型コロナウイルスは驕り高ぶる人類に対する激甚のショック療法であろう。人類全体が同意したわけでもないが、過去数十年間、グローバリズムと新自由主義がこの世の春を謳歌してきた。美辞やお題目は数々あれど、その本質は泥棒。富の集約、徹底的な不平等分配による目に見えない支配体制の確立である。
ところが、それはお金という人間の脳裏にしかない抽象物に基づく富の簒奪システムであるがゆえに物理的な攻撃に対して脆い。平時の統治手法なのである。そのことが今般のコロナショックで白日のもとにさらされつつある。
世界激変の予感しきりである。
先進諸国は近来初めて死を意識した
コロナショック後の世界は何もなかったのごとく振る舞えない。とくに大きいのは既得権益層、新自由主義の尻馬に乗って栄華を極めてきた連中の内部で起こるだろう「死の恐怖」である。
先進諸国以外の場所では死は日常茶飯事であり、COVID-19を待つこともなく疫病や貧困で多数の死者が量産されているから、メンタルな影響はほとんどない。
ところが、先進諸国の富裕者たちはまるでお金を持てば死から逃れられる、少なくても死の恐怖から自由になれると思い込んで生きてきた。
それが降って湧いたように、いつ感染するかもわからないウイルスが猛威をふるい始めた。しかも相対的に致死率は低い。生かさず殺さず、彼らは数十年来で初めて、まざまざと死に対峙する環境に囲い込まれたのである。
株や原油や金や不動産や、彼らの頼みの綱は頼みの綱でないことを白状しつつある。何で身を守ればいいか?彼らは自問せざるをえない。
人間の実存は別に古代や中世と変わっていなかったのだ。IT技術が発達し、AIが長寿命を実現するという夢の手前に、深刻な揺り戻しが起きたのだ。
これで世界が変わらないと考えるほうがどうかしているだろう。少なくても死の前では誰しも依然として平等だ。
問題は死の恐怖から「自由」になれるかに尽きる。今回自然が教えてくれたのは、それは「お金ではない」というありふれた真実だけである。
新自由主義のさもしい根性
新自由主義が常態化させた事態は次のようなものだ。
- 為政者・既得権益層・富裕者の不人情・エゴイズムを正当化し、一般庶民を苦しめる。
- 「自己責任」などと言って、いかにも公正自由な競争が経済のデフォルトであるかのような幻想を吹き込み、その影で為政者は不作為・無責任をきめこむ。政治の堕落である。
- お金持ちたちはタックスヘイブンなどの手練手管を駆使して租税を回避し、富を蓄積する。その一方で主権国家の提供するサービスをタダ使いする。
これらすべてに共通する考えは何かといえば、
国をないがしろにすればするだけ人間は幸せになる
というアンチ主権国家の思想にほかならない。主権国家を制約、足かせと捉える発想だ。
歴史的に見れば、それは王政や教会へのルサンチマンの産物である。その意味で近代最大の発明は良くも悪しくも「自由」の概念であった。